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浅妻 信のサッカーフリークエッセイ

【最終回】FOOTBALL JUNKIE「小さな使い古しのユニホーム」

  • 情報掲載日:2020.06.01
  • ※最新の情報とは異なる場合があります。ご了承ください。

1998年に生まれた息子は、生まれたときから地元にクラブがあり、当たり前のようにクラブを応援し、15歳で故郷を離れてもそれは変わらず――

先日、自宅の押し入れを整理していると、懐かしいユニホームが出てきた。いずれも息子が幼稚園の時に身につけていたものである。アンブロ時代のマンチェスター・ユナイテッドや、阪神並に弱かった暗黒時代のFCバルセロナのベビーサイズのレプリカは超貴重品。ネットショッピングがそれほど手軽じゃなかった時代において、文字通りの「海外直輸入」で手に入れた代物である。
その中に、使い古したオレンジとブルーの縦縞のユニホームがあった。本当に小さい。アルビレックスサッカースクール時代の練習着である。

生まれたときからサッカーボールに触れていた息子は、スクールが入校可能になると真っ先に手続きをし、雨が降ろうが、大雪が降ろうが、親の反対を振り切り、決して休むことなく喜び勇んで練習に出かけた。全員が休んでいるのに彼だけ参加し、そのため、コーチがやむなくマンツーマンで大雪の中相手してくれたことは1度や2度ではないという。誠に申し訳ない。

物心つく前からスタジアムに通い、リマのFKやマルシオのスーパープレーに心ときめかせ、アルビに声援を送っていた彼の夢は、当然プロのサッカー選手。もちろん、最終的にはアルビレックスの選手になることである。
4年生になり、選抜チームに選ばれると、少しトップチームのデザインに近づいたオレンジのユニに身を包み、夏と冬にほかのJクラブとの交流戦に出かけていった。彼の夢に向かって一歩踏み出した瞬間である。
そしてハイライトは小学校6年晩秋のジュニアユースセレクション。当時、新潟市や県のトレセンでもそこそこプレーしていた彼は、勇んでセレクションに挑んだ。セレクションは順調に進み、いよいよ最終セレクション。出来は悪くなかった。
しかし、やってきたのは不合格の通知。あれほど悔しさで泣き崩れた彼を見たのは、今を振り返ってもない。

使い古した、オレンジとブルーの、本当に小さな小さなユニホームは、そんな懐かしさと甘酸っぱさを一気に思い出させてくれた。まさに彼の半生そのものじゃないか。

さて、「月刊にいがた」からはじまったFOOTBALL JUNKIEの歴史であるが、最初の原稿は今から遡ること15年前、平成17年の5月号、添えられた写真はアンデルソン・リマのFKだったと記憶している。
スタジアムはいつも超満員。まさに劇場。新潟のおとぎ話と言われた時代だ。
コラムのタイトルは「クラブチームのある幸せ」で、地元にクラブチームがあることの素晴らしさをしみじみと語ったものだった。

クラブOBの梅山修氏も内田潤氏も、同じような表現で、かつて対戦相手として訪れた新潟スタジアムの凄さを聞かせてくれたことがある。とにかく、声援が凄い。なんでもないプレーで大声援がおき、失礼ながら当時大して上手くもない選手が大声援を背にどんどんプレッシャーをかけ、大きく一歩を踏み出してくる恐怖。しかも、これが90分続くんだ!
日本でこんなところあったのか!

このコラムもお陰様で15年間も続けさせていただいた。唐突だが、このたび、区切りがいいということと、クラブが生まれ変わろうとしているいま、私のようなロートルがいつまでも書き続けるのも相応しくないと判断し、私の一方的なわがままから連載を終了させていただくことになった。
整理が悪いもので、バックナンバーのようなものは一切保管しておらず、パソコンのフォルダの中に原稿が残るだけだが、アットランダムにクリックして原稿を開いてみても、当時の思い出が色鮮やかに蘇る。
その数、実に180本。
この15年間の思い出は人それぞれあると思うが、これは紛れもなくアルビレックス新潟と歩んだ私の人生である。

アルビレックスがJリーグ入りする1年前の1998年に生まれた息子は、それこそ生まれたときから地元にクラブがあり、当たり前のようにクラブを応援し、15歳で進学のため故郷を離れてもそれは変わらず、アルビレックスは故郷と自分を結ぶ心のクラブとして今も君臨し続けている。
小さな体にオレンジのユニを身につけ、週2回の練習を本当に楽しみに一心不乱にボールを追った日から、そして、ジュニアユースのセレクションに落ちて泣き崩れたあの日からも何も変わっていない。その彼も今年から社会人。そのうち、結婚をして子どもも生まれるだろうが、間違いなく、子どももアルビレックスのサポーターになるだろう。
そのときは、押し入れに眠っているオレンジとブルーの縦縞のユニホームを引っ張りだし、誇らしげに見せるに違いない。自分のアイデンティティーとして。待てよ。俺ってその時ってまだ生きているかなぁ?

15年間も書き続けたわりには、進歩せず、結局同じことを言い続けている。

皆様、15年間本当にありがとうございました。


【浅妻 信】
新潟市出身。Jリーグ昇格時からアルビレックス新潟を追い続けるとともに、本業のかたわら、サッカー専門誌などに執筆している。さらにASジャミネイロの監督としても活躍中

 

サッカーコラム『FOOTBALLL JUNKIE』は今回が最終回になります。
アルビレックス新潟を、サッカーを、そしてスポーツを、浅妻信さんならではの愛のある視点で分析し、叱咤応援する姿勢は、多くの読者から支持されていました。
『月刊にいがた』において連載がスタートしてから15年。
はからずも第1回と今回の最終回が「地元にサッカークラブがある幸せ」をテーマにしたものでした。
この当たり前に幸せな環境は今後も変わることがないのでしょうね。
浅妻信さん、15年間ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

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