1. (互角の戦いができたのは)子どもたちの「監督にもうひとつ勝たせたい」って気持ちだろうな。
2. 最後まで、いわゆる人が言う“大井野球”を貫いたと思う。私自身は後悔がないね。
3. 勝ったチームだけじゃなく、負けたチームも努力している。その努力をすることが尊いのよ。
監督勇退を発表し、「最後の夏」に挑んだ2017年シーズンの総括インタビュー
弊社発行のタウン情報誌『月刊にいがた』で過去に掲載した大井道夫監督へのインタビューを復刻──それも当時の発言をすべて活字化するというスペシャルな企画。前回(第5回)に引き続き、2017年9月5日、監督が最後の指揮をとった夏の甲子園大会直後に行なったインタビューの後編をお届けします。
監督生活最後の夏も、新潟県代表として甲子園大会に出場。初戦の徳島県代表・鳴門渦潮高校に見事に打ち勝った(○9対5)日本文理高校野球部は、2回戦で宮城代表・仙台育英高校と激突。優勝候補を相手に互角の内容の緊迫した試合を繰り広げましたが、最終的には0対1で惜敗。ただ、エースの稲垣選手に「お前と心中するよ」と試合前に告げて臨んだり、「4番バッターに送りバントさせるような野球はしない」というポリシーを最終回のチャンスでも貫くなど、最後まで“大井野球”を我々に見せてくれた素晴らしい試合でした。
さらに、甲子園に出ることや試合の勝ち負けという結果より、「生徒たちが3年間努力してきたことが何よりも尊い。そこを評価しないと高校野球をやっている意味がないんだ」と、高校野球の本質論も語ってくれた大井監督。そんな含蓄ある発言が続く“Last Summer Interview”を、今回もお楽しみください。
●写真提供・新潟野球ドットコム
●聞き手・笹川清彦/原稿構成・棚橋和博(ジョイフルタウン)
(互角の戦いができたのは)子どもたちの「監督にもうひとつ勝たせたい」って気持ちだろうな。
──初戦の鳴門渦潮戦を突破し、2回戦が仙台育英との試合でした。監督も戦前言われていましたし僕らも大方そう思っていましたが、前の試合で大量点を取った物同士の試合ですから打撃戦になるかと思いきや…結果的には0対1のロースコアという、誰もが予想していない展開でしたね?
まぁ、ゲーム自体は確かに良かった。ウチもしっかり守ったけど、それ以上に仙台育英の守りは良かったなぁ。
──いやぁ、本当にそうでした。
ヒット3本ぐらい損したか(苦笑)?
──(笑)いや、もっと損したかもしれません。とにかくいいところで凄いプレイが出ました。相手のショートやセンターなんかの好守備はテレビを見ながら、「おいおい、勘弁してくれよ」と思っていましたよ。
うん、そうだねぇ(笑)…ただね、仙台育英の子たちの個人の能力は高いよね。
──そうなんですか? でも、試合内容やヒットの数からして互角じゃないですか?
いや、あれははっきり言ってウチの子よりも上だね。
──それは戦う前からわかっていましたか?
うん、それはわかっていたんだ。個人的な能力は仙台育英の方が強いってわかってたね。
──なるほど。逆に言うと、そこと互角以上の戦いが日本文理に出来たというのはどこにポイントがあったと思いますか?
やっぱりあれだろうな…子どもたちの気持ちというか、何とか監督にもうひとつ勝たせたいって気持ちだろうな。だから試合が終わって──向こうの佐々木って監督は俺の後輩なのよ。
──早稲田大学の後輩なんですよね?
そう、で、試合が終わってから話したんだけど、「大井さん、もう、正直言って、いつかひっくり返されるんじゃないか…ベンチではそればっかりを思っていました(苦笑)」って言うわけ。あれ、本音だと思うよ。
──確かに展開的にはそうですよね?
で、俺は言ったのよ、「お前、早稲田の野球部って先輩を立てるんじゃなかったの(笑)?」って。もう、大笑いしてたよ(笑)。
──(笑)あっははは…立ててないですね?
(笑)本当にそうだよ。いやね、佐々木も一緒なの。全国制覇が夢なのよ。
──あ、なるほど。確かにそうですね?
あそこも準優勝までだから。あそこにはいい子がかなり行っているんだよね。宮城は勿論、県外からもね。だから選手層は厚い。それとね、学校に行ったらびっくりするよ。内野も全部人工芝。グラウンドが素晴らしいからね。
──羨ましいですねぇ。で、結果的に仙台育英は日本文理を破った後、優勝候補筆頭の大阪桐蔭を破りました。だから逆説的に考えると、やっぱり日本文理の今年のチーム力は全国でも非常に上位にあったという風にも受け取れるわけですが?
まぁね、そうやってみなさんが評価してくれたんで、これはやっぱり子どもたちもいい自信になったと思うね。戦った3年生もそうだし、1~2年生もそう。先輩らの力が全国で通用するんだと──「よし、俺らも全国を目指そう!!」って気持ちになれたのが一番大きいな。
最後まで、いわゆる人が言う“大井野球”を貫いたと思う。私自身は後悔がないね。
──あの試合に関して僕が思っていることがふたつあります。まず、エース稲垣くんの素晴らしいピッチングです。見事な完投劇でした。
いやぁ、インサイド、アウトサイドを厳しく突いていったね。あれが彼のベストピッチじゃないかな。
──あれだと変えようがないですよね?
うん、これは変えようがないですよ。試合前に稲垣に言ったの、「お前と心中するよ」って。
──試合前に?
そう、稲垣に試合前にそう言った。だから稲垣はそれは十分わかってピッチングしてくれた。本当に良いピッチングをしてくれたね。
──本当ですよね。時の運と言うか、ちょっと間違っていれば文理が勝てた試合だと僕は思うんです。で、もうひとつは、やっぱり日本文理は打のチームであると──監督もそういうチームを作ってきたと公言されています。ところが最後の試合が0対1と、点が取れなかったのは残念なんですけど、それでも9回に川村くんが出た…。
うん、ノーアウトで出たね。
──で、4番松木くんですが、バントはしないだろうなと思ったら全然しないですもんね?
そう、あれがウチの野球だもん。下位のバッターだったらバントをさせたけどね。
──下位でもさせないんじゃないかと思ったんですが?
いや、下位ならさせる。
──なるほど。やっぱり4番の松木くんだからということですね?
うん、4番だから。俺、今まで…かつて4番に送りバントはさせたことがないだろう?
──確かにそうですねぇ…。
うん、そう。何の為の4番バッターなんだと。4番バッターに送りバントさせるような野球は俺はしない。
──見事ですね?
だってさ、そういうのがウチの野球だもん。だからそういうのは最後まで──俺は自分の野球と言うか、いわゆる人が言う、“大井野球”を貫いたと思うし、私自身は後悔がないね。
──はい、それは観ている僕も本当にそう思いましたね。そこは貫かれるんだなって。で、代打の倉川(悟)くんが…。
うん、ポテンヒットだったね(笑)。
──ポテンヒットではあるけれど、それでもあの場面で代打出てきて──思い出起用が多い中、あそこでヒット打ってつなぐんだというのが伝わりました。大井監督と文理野球の片鱗を見た気がします。
それでもやっぱり、仙台育英のあの子も頑張ったなぁ。
──ピッチャーですね?
うん、良いボールを放ってたから。
──本当ですね。でも、9回のあんな感じ(ランナーが2人出塁し、長打で逆転という状況)になると、もう絶対逆転できるんだっていう気持ちになっていたんじゃないですか?
うん、もうウチは、「よし! ひっくり返すぞ」っていう、そういう気持ちだよね。でも毎度毎度うまくいくわけもないし(苦笑)…でも、あそこまで追い詰めたんだから、子どもらは良くやってくれましたよ。
──そういう言葉を試合が終わった後のインタビューで監督はおっしゃってましたけど、それが率直な本音ですね?
そうだね。ああいう良いゲームをやって監督生活を終われたんだしね。で、いつも言っているけど、私が高校生の時に甲子園で準優勝をしているわけで…。
──はい、1959年です。
そう、甲子園で始まって甲子園で終われたわけでしょう? こんな野球人は…。
──はい、いないですよねぇ…。
ねぇ? こんな幸せなことはない。
──おっしゃる通りだと思います。監督はその後のインタビューで、「いろんな人への感謝を忘れないように…」とおっしゃっています。
うん、だってね、子どもたちにいつも言ってるのはね、自分が野球やれること自体が大変なことなんだってこと。そうでしょう? 親に対して感謝しなさいと。だって野球はお金がかかるんだもん。
──確かに。
そういうことを常に頭に入れておきなさいとね。それと野球はご存知のようにひとりじゃできないもの。バッティングをやりたいと言ったって誰かが投げてくれなきゃ打てない。だからそういうものすべてに感謝しなきゃならない。それが大事なんですよ。
──うんうん、確かにそうですね。
そう、私はそこを忘れたら野球をやっている意味がない思うと。だって将来野球を続けていく人生ってそんなにいないじゃないですか?
──そうですね。
そうでしょ? で、次のステップの時にその気持ちを忘れないように──第二の人生をそういう形で向かって行ってもらいたい。私はそう思っているね。
勝ったチームだけじゃなく、負けたチームも努力している。その努力をすることが尊いのよ。
──前回のインタビューでも野球は人間形成の場所だということを繰り返しおっしゃっています。それが印象的だったんですけど、それは甲子園という場所も含め、野球すべてがそうだってことなんでしょうね。また、奥様への感謝の気持ちを語られていて…そこでは目に光るものがありましたね?
いやぁそれはね…みんな古い連中や先生方はわかっていると思うけど、ウチのやつがいなかったら私は監督を辞めていますよ。続けられなかった。だって学校にお金がないんだもん。ウチのやつが仕事をして送ってくれたお金で続けていたんだからね。
──監督にたくさんギャランティが出ていたわけではないと?
ああもう、全然。これはもう、ホント、若い先生だって…土・日曜につれて行く食事代なんかは俺が全部払うんだもん。野球道具だって…ポール一個だって買うのが大変だった。本当にね、ウチのやつが金を工面してくれなかったら続けられなかったね。
──最後に指揮する甲子園が終わり、さらに昔のことが蘇ってきたんですね?
うん、こっちに帰ってきて、「無事に終わったよ」と仏様に…女房に挨拶しに行ったけどね。
──何と言ってましたか?
まぁ、喜んでくれたと思うよ(笑)。おそらく、「良く頑張ったね」と言ってくれていると思うよ。私はいつもポケットに……女房の使っていた小銭入れがあるのよ。いつどんな試合でもそれをポケットに入れてるよ。女房と一緒にゲームを戦うんだと必ずゲーム前に後ろのポケットに手を突っ込んで、「頼むぞ」って言うんだ。
──ひとりじゃないってことですね?
そう、そういう点でもね、私の心の支えっていうのかな…。
──甲子園に行くにはいろんなチームに勝って勝って勝ち上がっていくことが必要ですが、いろんな人の支えがあってのことなんですよね?
うんうん、前にも話したと思うんだけど、みんなどのチームも一生懸命やってんのよ。例えば今の新潟だと八十何チームもある。だけど甲子園に行けるのは1チームだけなんだよ。でも、甲子園に行けたチームだけが努力し頑張っているわけじゃないんだよ。
──そう見えがちですけどね?
うん、でも、みんな一生懸命練習してる。だけど負けると、「だらしない」とか「意気地なし」とか言う。そうじゃないんだよ。やっていること自体を評価してあげないと。勝ったチームだけが努力し一生懸命やっているわけじゃない。私は早稲田大学の時に──よく早稲田にね、米軍の立川基地とかに行ってアメリカの子ども達がやる野球の審判に要請があって行ったの。向こうの外人の兵隊さんとの試合の審判要請も早稲田に来たのね。今で言うリトルリーグみたいなチームが基地同士で試合をする。その審判をやると結構いいお金がもらえたんだ(笑)。例えば日本人の見に行けなかった大概の親はさ、試合は勝ったか負けたかを聞くのが先だと思うんだよ。負けたって言うと、「何だ!!」って言う。だけど向こうの親は違うんだよね。「頑張ったか?」「うん、一生懸命やれたよ」「そうか、良かった。で、結果はどうだったか?」が後なのよ。
──先に結果が来ないと?
そう、で、「負けた」と言うと、「それはアンラッキーだったね」と…。
──でも、次があるさと?
そうそう、そういう違いを感じたね。
──しかし、監督が早稲田時代ですから、もう、50年以上も前のお話ですよね?
そう、その時すでにそうだった。日本人っていうのは結果が全てと思いがち。でも、そうじゃないんだよね。負けたチームも努力している。その、努力をすることが尊いのよ。高校で3年間頑張ったんだというのを評価してやらないと…そうじゃないと野球をやっている意味がない。だって甲子園には1チームしか行けないんだよ。
──日本文理は近年でも行けなかった年も多いわけですからね。そういう子どもたちを数多く見ているということですね?
そう、だからいつも言うの──負けた年なんかはね、「お前たちは甲子園に行けなかったけど、どこにも負けない甲子園へ行く為の練習をした。その誇りを持って卒業してくれ」と。あと、今年もそうだけど、甲子園に行けても、そのグラウンドに出られない3年生が大勢いる。俺は試合でユニフォームを着られなかった。試合にも出してもらえなかった。でも、野球部員として俺は一生懸命やった。球拾いからバッティングピッチャーから何かのお手伝いまで…でも、3年間の野球生活を誇りに思ってくれと。そういう形で卒業してくれと。お別れ会の時に必ずそれを言うの。
──子どもらも納得するでしょうね?
うん、そうじゃないとさ…100人を超える選手がいて試合でユニフォームを着れるのはわずか20名なんだ。単純計算で5分の1だよ。
──はい、それが現実です。でも、そういう言葉は選手にとって最も嬉しい言葉だと思います。実に優しい監督だなぁと思いますが、それでも甲子園のテレビ中継で時折り映るベンチの中で監督は常にぶつぶつ怒っています(笑)…そういう時は勝負師になっているからですね?
(笑)あははははは。それ、見てたの?
──(笑)日本全国の人が見てますよ。
(笑)がっはっはははは。
──その辺は役に徹するという?
そうだねぇ…あんなところでゆったりしたり、おだやかにしてたらダメなんだよねぇ(笑)。
──しかし、素敵な1年でしたね?
うんうん、ありがたかったねぇ(笑)。■
(次回に続く)
●写真提供/新潟野球ドットコム
第7回は、11月11日頃の公開予定です。