1. (初戦の)寒川戦で逆転勝利したことが大きかったね。
2. 決勝戦の前、「勝っても負けても新潟へ笑って帰ろう!」と約束したんだ。
3. 子どもたちの「新潟の歴史を変える!!」って思いが現実になった。
インタビュー連載第2弾。2009年夏のインタビューの「後半」です!
今年の夏は甲子園大会が中止となり、高校野球ファンには少し寂しい季節になりました。
そんななか、我が編集部のある新潟では、「夏の甲子園」と言えばやはり、2009年の決勝、9回2アウトランナー無しの場面から奇跡の猛攻を見せてくれた「日本文理高校」の存在が今も脳裏に焼き付いています。その伝説の試合の指揮官だった大井道夫監督(現・同校野球部総監督)に、弊社発行のタウン情報誌『月刊にいがた』で過去に掲載したインタビューを復刻──それも当時行なったインタビューでの発言をすべて活字化して皆さんにご覧いただくスペシャルな企画の第2弾をお届けします!
2回目となる今回は、前述した2009年夏の甲子園決勝での歴史的名勝負からわずか2週間後の2009年9月9日に行なったインタビューの「後半」部分。初戦の香川代表「寒川」戦、続く「日本航空石川」戦、準決勝の「県岐阜商」戦と各試合を振り返りながら、最後の決勝「中京大中京」戦の詳細を語り明かした、2009年夏のドキュメントともいえる内容は高校野球ファン必読! あの“伊藤コール”の鳥肌話や、試合後のウイニングボールの逸話などなど…、いやぁ、これはもう、ここで触れるより、ぜひあなたも全文読んで感動してください!!
あの奇跡のドラマへの軌跡と様々なエピソードを大井監督自らが語った貴重なこのインタビューで、僕らも忘れられない「最高の夏」がきっと蘇るはず。ぜひお楽しみを!
●聞き手・笹川清彦/原稿構成・棚橋和博(ジョイフルタウン)
(初戦の)寒川戦で逆転勝利したことが大きかったね。
──実際、夏の新潟県大会では、伊藤くんのピッチングは勿論、打つ方でも、決勝の中越戦の初回にいきなり7点を取ったり、準決勝でも県央工業の好投手・古村(祐也)くんから集中打で大量得点を記録したりと、甲子園の最後の場面で見せた“驚異的な集中打”を既に県大会の段階で見せていたと感じるわけですが――監督自身も打線の手応えは十分感じられていたんじゃないですか?
まぁ、そうですね。ただ、「甲子園でいいピッチャーが来た時にどうかな?」っていうのが気になっていたかな。
──あぁ…確かに、新潟県内では140キロを優に超えるような投手はいなかったですからね?
そうそう、だから不安はあったけど…正直、(甲子園初戦の)寒川戦で逆転勝利したことがもの凄く大きかった。(夏は)出場5回目で初めて勝てたわけだから、あれで私自身も肩の荷が下りたし、選手もあの試合を勝てたことでもの凄くリラックスしたと思いますよ。
──その香川県代表・寒川高校戦については、中盤で2点リードされつつも、7回に高橋義人くんのホームランで1点返し、8回に2点取ってひっくり返した展開でした。僕のように文理打線の破壊力を県大会から知っている人間にとっては負けそうな気がしなかった試合なんですけど、監督自身はどんな思いで戦っていたんでしょうか?
私が思う勝負のポイントは、相手のピッチャーが(7回の)途中で変わったでしょう? あの時、ベンチで言ったのよ、「よし、これで勝てた!!」って。スコアはまだ負けていた(2対3)けど、変わったピッチャーなら間違いなく打てると思った。というか、それくらい、あの先発の左(寒川の斉投手)が良かったのよ。
──予想以上に良いピッチャーでしたか?
うん。でも、あれは私が悪かったね。というのも、事前に相手チームの試合の映像を見て研究したんだけど、はっきり言って、たいしたボールを投げていなくて…。ただ、後でよくよく考えてみたら、その映像は香川県大会の決勝で、ピッチャーはもうへばっているわけ。実は準決勝とか準々決勝で激闘をした後らしくて、ボールが全然きてなかったから。それに気付かず、「これならきっと打てるな」って思いながら試合で対戦してみたら、映像のイメージと全然違っていて…もう、手元で伸びる、伸びる(笑)…だから、今後ビデオを参考にする時は、相手の一番いいピッチングをした試合を見ることにしましたよ(笑)。
──(笑)では、やっている側としては、途中までは、「少しヤバい展開だな」と思っていたんですね?
そう、とにかく手元でピュッと伸びてきて、打ちにくいピッチャーで――春の四国大会でも準優勝しているし、メンバーは大阪出身の子がほとんどだし、最初は、「これはまいったな」って思ってた。ただ、中盤から少しウチの打線が捕まえ出してきて…そしたら、向こうがピッチャーを変えてくれた。助かったよね。でもしょうがないんですよ、あの継投が向こうの勝ちパターンで、あれで勝ち進んできたチームなんだから。で、その勝ちパターンに持ち込んだのはわかるんだけど、あの時に代わったピッチャーの調子が良くなかった――それはウチがツイていたんだろうな。アレがもし、二番手も調子が良かったら、相手があのまま逃げ切っていたかもしれないからね。
──そうして初戦の2回戦を突破した後、次の3回戦は石川県代表の日本航空石川高校との対戦となりました。練習試合でも大勝していたという相手ですし、気分的には、「この試合も突破してベスト8に進出だ!!」と、組合せの時点で見えていたんじゃないですか?
みんなそういう風に言っていたんですよ(苦笑)。まぁ、確かに、日本航空さんとは…(練習試合で)ウチが8対2で勝ったのかな? その時は、ある意味楽勝で勝ってるわけ。だけど、石川県大会の成績を見たら、2アウトランナーなしから逆転したり、奇跡的な勝ち方をしてたんだよね。だから「これはノってるチームだな。油断できないな」って私は思っていましたよ。
──その辺はさすが監督ですね(笑)。で、その日本航空石川高校にも勝ち、さらに快進撃は続いて、ついに決勝まで勝ち進むわけですが、監督としては、その決勝までの道程で特に印象に残っている試合と言えば?
それは(準決勝の)県岐阜商戦。あの時、伊藤に試合前に言ったんだから、「5点はしょうがないよ」って。実際、「この試合に勝つには、みんなで伊藤に5点以上プレゼントしてやろう!!」って、そういう気持ちで挑んだんです。そしたら伊藤が本当によく投げたし、またみんなもよく守った。アレが最大のポイントだったんじゃないかな(最終的には2対1で勝利)。
決勝戦の前、「勝っても負けても新潟へ笑って帰ろう!」と約束したんだ。
──なるほど。そして、いよいよ決勝戦、中京大中京高校との試合となります。その試合前はどんな気持ちでいたんでしょうか?
子どもたちには、「これから決勝戦だけど、勝敗はどっちに転ぶかわからない。ただ、今日の結果がどうであれ、お前らの力は充分にわかった。もう、100パーセントの力が出ている。だから、ひとつだけ俺と約束してくれ。勝っても負けても新潟へ笑って帰ろう!! 試合が終わっても泣くようなことだけはするな。それを俺と約束できるか?」ってみんなを集めて話したんです。そしたらみんな、「できます!!」と…。
──この決勝に勝つとか負けるのでなく、悔いなく力を全部出し切ろうという?
そう。俺はお前たちの力を認める――実際、本当によくやってきている。だから思いっきりやればいい、と。伊藤にも「今日はどんなに打たれても変えない。お前が最後まで投げろ!!」って言いました。みんなも「それでいい」と言ってくれたしね。
──そうでしたか。ただその指示は、ある意味、勝負を度外視したものを選手に求めたわけで…そんなことは今までの監督人生であったんでしょうか?
初めてです。だって俺が信じられないくらい、子どもたちは力を出していましたもん。あんな力がある子たちじゃないのにね(笑)。実は昨日も、ある高校の部長さんと話していて「今年の中京大中京は、1番から9番まで、凄かっただろう? 大井さん、よくあんなチームと五分の試合をやったね」って。それだけ凄い打線でしたよね、本当に。
──それは戦う前から感じていたと。
勿論、関係者はみんなそう言っていたし、実際、彼らの身体つきとウチの子たちを比べればわかるもん(苦笑)…そんなチームと五分にやったんだから…あれ以上は求められないんじゃないかな。
──試合展開としては5回までは2対2で、僕らも見ていて、「おっ、これはイケるんじゃないか?」と思えるような展開だったんですけど…では、その時点で、監督としてはいい意味で予想外だったということですか?
予想外ですよ。正直、伊藤が前半で捕まると思っていたからね。
──個人的には、4回表、1アウト1塁の場面で伊藤くんの打った痛烈な打球が、「センター・オーバーだ!! よし、勝ち越しだ!!」と思った瞬間、相手のセンターが背走し好捕した超ファインプレイ――あれはちょっと参りましたけどねぇ(苦笑)。
ああ、あれは凄かったねぇ。「もう一回やれ」と言われたってできないプレイだよ。
──あの瞬間、監督は何を思ったんでしょうか?
いやぁもう、とにかく、「今日はツイてねぇな」って思いましたよ(笑)。
──(笑)その後、6回裏、内野のちょっとした連携ミスも絡んで、相手に一気に6点を取られてしまいます。正直、見ていた新潟県民のほとんどは、「やられたな…でも、よくここまで頑張った」って気分になったと思うんですが──あの時の監督のお気持ちはどうでしたか?
今までたいしたミスもなかったのに、あの大事な場面で(ファーストの)武石(光司)にミスが出た。まぁでも、仕方ないよね。それに、「笑って帰ろう」と約束したんだから、武石には、「くよくよするな。打って返せばいいじゃないか!!」って言ったけどね。それは私だけでなく、みんなも武石にそう言っていましたよ。
──なるほど。そして4対10の6点差というスコアで最終回の9回に突入します。これだけ点差がついても選手には、「悔いを残さず、すべて出してこいよ」と送り出されたわけですね?
そう。で、あっという間にツーアウトだからね。
──ええ、ほとんどの人が「これで終わりだ」と思ったわけですが…ただ、映像を見ると、実は伊藤くんが、その場面から次のイニングに備えてベンチ前でピッチング練習を始めます。あれは監督の指示ですか?
いや、違う。自分の意志だね。もうね、誰も諦めていないんだから。それで(トップバッターの)切手がフォアボールで出塁したら、一気に「これでイケる!!」っていうムードになって――ベンチもそれで盛り上がっちゃったからね。
──選手同様、監督も「これでイケる!!」って思われたという?
いや、俺は思ってないよ(苦笑)…はっきり言って、「1~2点くらい返してくれればいいな」程度だったんだけどさ。
──(笑)で、その後は、きっと伝説として後世に語り継がれるであろう日本文理の怒濤の反撃が始まります。それにしても、ほとんどのバッターがツーストライクまで追い込まれるのに、不思議と見ているこっちもバッターが追い込まれた感じがしない凄まじい粘りの攻撃でした。それはやはり、先ほどの“ツースリーを想定した練習”などの話につながるんでしょうね?
それもそうだろうけど、やっぱりあそこは気持ちだよね。だって、向こうのピッチャーの方がプレッシャーがかかっているんだもん。逆に向こうが負けているようなピッチングになっていたから。
──その相手のピッチャー・堂林くんは途中で一度外野に退き、あの最終回から再びマウンドへ戻ってきました。おそらく「最後を飾らせよう」っていう意図だったんでしょうけど…その起用は、大井監督の目にはどう映りましたか?
それは監督として、堂林くんで勝ってきたチームだから最後は彼に花を持たせよう、という恩情はあったと思う。ただ、勝負ってのはそこなんだよね――ゲームセットになるまでは何が起こるかわからないっていう。だからあれは…中京の監督は相当反省しただろうね。ウチが9回途中からノリだした時、ベンチにいる向こうの監督はもう、全然落ちつかないんだもん(笑)。
──それと、吉田くんの打ったファールフライを相手のサードが捕り損ねたことを含め、あの連続攻撃は、ある種、神がかったところもあったように感じましたが?
そうね。で、伊藤の打席の時なんか、球場全体から、「伊藤!! 伊藤!!」と、もの凄いコールが起きて――あんなの、高校野球史上初でしょう? もう、中京の応援席以外は全部、伊藤コールなんだもん。横浜高校の渡辺監督がテレビのゲストで解説していて、「驚きました。こんなことは初めてだ」って言われたらしいけど…、ホント、凄かった。私もベンチにいて鳥肌立っちゃったよ(笑)。
──そこでまた、彼は見事にタイムリーを打ちましたからねぇ。
「何だか…この雰囲気じゃ、打たなくっちゃなって思いました」って伊藤は言ってたね(笑)。
子どもたちの「新潟の歴史を変える!!」って思いが現実になった。
──ちなみにあの時、監督はひとりひとりのバッターにどう指示を出していたんですか?
いやぁ、指示も何も、俺も鳥肌立っているんだから、どうにもなんない(笑)…あんなこと、高校野球じゃ、普通はあり得ないんだからさ。
──で、伊藤くんが打って8対10になり、先ほども話した石塚くんが代打で出てタイムリーを打つ場面になるんですけど、さっきも言いましたが、それはキャプテンの中村くんから「石塚くんを使ってくれ」との進言があったという。
そう。最初は平野(控えの2年生)が「打たせてください」って私のところに言ってきたのよ、自分から。そしたら中村が、「ここは石塚に打たせて欲しい!」と──。で、「そうか…」と思って…俺も考えて、「よし、石塚だ!!」とね。
──そしてその石塚くんが初球から見事に打ってくれた…もう、鳥肌が立ちっ放しという場面の連続ですね(笑)?
そうだね(笑)…あそこもよく打ったよね。
──で、スコアはついに9対10と1点差。これはひょっとして追いつくかも…との雰囲気の中、次の若林(尚希)くんが打った瞬間、「やった!!」という強烈なライナーがサードの真正面をついて相手のグラブに収まった――。あの瞬間、監督の胸にはどんな思いがよぎったんでしょうか?
「あぁ……これで終わったな」と。「…長かったな」と、思いましたよ。
──その「長かったな」というのは、あの試合に関して? それとも甲子園が、ということですか?
甲子園ですね。だって24泊もしたのなんて、初めての経験だったから。…ホント、いろいろありましたしね。
──ただそこで、終わった後、まさに監督が試合前に話したという“笑って帰ろう”って約束がちゃんと守られていたのが素晴らしいことですよね? ホント、負けはしましたが、選手は誰も泣かず、むしろ笑顔を見せていたのがとても感動的でした。
…ただね、実は伊藤がちょっと泣いたんだよ、(試合後の挨拶で)応援席の前へ行った時に。だから「伊藤、俺と約束したじゃないか?」ってほっぺを軽く叩いたの。そしたら伊藤も笑っていたけどね(笑)。
──(笑)いいお話です。しかし、本当に選手は力を出し尽くしましたね?
うん。本当に、よくやってくれましたよね。
──改めて、なぜあの場面からああいう驚異的な反撃ができたのか、その理由を監督に挙げていただくとするなら、何だと思われますか?
うーん…やっぱり、子どもたちがみんなで話をしていたみたいなのよ、「新潟の高校野球の歴史を変えようじゃないか」ということを。正直、私はそれを強く思っていたわけじゃなかった。夏は1勝もしてなかったしね。ただ、その、「新潟の歴史を変える!!」って思いが現実になったわけだよね? だから…「甲子園っていうのは、力以上のものを出させてくれる場所なんだな」と思った。「人間的にもいろんな面でも成長させてくれる」というのを改めて感じたよね。
──ええ。ただ、現実的には、どのチームも力以上のものを出せたわけでもないのが事実で――その中で今年の日本文理がそれを達成できたのは、個々の能力と努力プラス、先ほどの代打の話もそうですが、「“チームとしての輪”が素晴らしいものを持っていたんだな」と、今日のお話を聞いていて僕は感じましたね。
あのね、初戦(寒川戦)を夏の甲子園初勝利で飾った時、後で伊藤がウイニングボールを持ってきて、「これは奥さんのために…」と言ってくれたんですよ。私は、「ありがとよ、遠慮なく仏壇に飾らせてもらうな」と答えたんだけど(監督は昨年、奥様を亡くされていた)、そういうことを忘れないでやる子たちなんだよね。俺が向こう(甲子園)でちょっと具合が悪くなり、点滴を受けて帰ってきた時も、(宿泊先の)旅館のエレベーターで偶然一緒になって、「監督、大丈夫ですか? 明日の試合は出られますか?」って言うんだよ。「俺が出なきゃお前ら、ダメだろう!!」とか言ったら、あの野郎、「そうなんですよ…ダメなんですよ」なんて、調子のいいことを言いやがったりとかさ(笑)。
──(笑)それにしても、そういった選手との信頼関係っていうのは、一体どんな風に形成されていったんですか?
年齢的には自分の孫みたいなもんだけどさ(笑)。でも、ちょくちょく練習の時も子どもらと一緒になって冗談を言ったりとか…そういうのが必要なんだろうね。やっぱり、ただ厳しくするだけではなく人として向き合うってことが必要ってことなんだろうな。
──そうなんでしょうね。それにしても縁とは不思議なもので、大井監督はそれこそ50年前、宇都宮工業のエースで四番として甲子園の決勝で戦って準優勝されています。そこからちょうど50年経ち、今度は同じ舞台を監督として経験した――ここに不思議な何かを感じられているんじゃないですか?
まぁ、そうだねぇ。50年前の感動をまた再び味わえたんだもんね。…でも今度の方が、あの時の数倍は嬉しいかな。
──わかりました。最後に、改めてお聞きします。今回の甲子園での経験が監督にとって何を残されたと、今、思われていますか?
新潟に帰ってきて、皆さんから「感動をありがとう」って言われましたけど、逆に私が感動をもらった感じがするな。ホント、子どもたちのおかげで私自身もこういう感動を味わえて幸せでしたよ。あと、私も新潟県民になって20年以上になりますけど、今回、こういう結果を残せて、「やっと皆さんに認知されたかな」って気がしますね。
(次回に続く)
第3回「2017年・大井監督最後の夏、始まる」は、9月12日頃の公開予定です。