大宮戦のような、スタジアム全体が選手を後押しする素晴らしい雰囲気が作れるのなら、勝利はもちろん、たくさんのサポーターがスタジアムに駆けつけてくるだろう
前半戦の締めくくり、J昇格時からライバルとしてしのぎを削ってきた2位大宮との戦いは、間違いなく今季のベストゲームであった。
前半のうちに同点に追いつくと、後半、ゴール裏を埋め尽くすアルビレックスサポーターの前でフランシスが逆転弾を叩き込む。
その後も大宮の猛攻を、ゴール前で何人もの選手が体を張って弾き返すなど、サポーターにとってまさに痺れる展開で、難敵を倒した。
しかも、苦戦が続くホームでの勝利。
試合後、プラネタスワンが作り出す、幻想的な雰囲気が、否が応でもボルテージをあげる。これで、8勝8敗5分のタイ。監督解任劇もあり、右往左往した前半戦の最後をいい形で終え、後半戦の巻き返しを誰もが確信したはずだった。
だが、サッカーはうまくいかない。
相手がいて、勝者も敗者も出るなら、敗者に回ることも当然ある。
ただ、そう単純に割り切れないほどの完敗で、後半の開幕戦、ホームでの横浜FC戦を落とした。
自動昇格となる2位までは勝ち点差11。プレーオフ圏内に入る6位内には勝ち点差7。
なかなか厳しい展開だが、そんな星勘定は無視して、残りの20試合を一つ一つ全力で戦っていくしかないだろう。
そんなわけで、我々サポーターとしては何ができるのか、とりわけ、ホームで勝てない現状を打破するためにも、私が監督を務めている社会人リーグでの試合の経験を踏まえ、ちょっと違う角度で提案をしてみたい。
サッカーをプレーしていて嫌なのは、プレーとは違う部分で、ゲームを壊されることである。
例を挙げれば、審判への異議。
あらゆるプレーに対し、自分たちの不利、有利に関係なく審判を小馬鹿にする態度をとると、これはもはやイジメだ。
また、自分から見えてもないプレーに対し、オフサイド、ハンドなどを自分の都合で反射的にアピールする。
いずれも、プレーヤーの集中を削ぐだけなく、残念ながらアマチュアレベルでは、明らかにその後の審判の判定に影響が及んでくるケースも出てくる。何れにせよ、ゲームが壊されるのだ。
その点、最近、興味深い文献を読んだ。キレやすい子がなぜ生まれるかというもので、まとめると、子どもがキレやすくなるかどうかは、感情が出揃ってくるころの親のかかわり方に大きく左右され、しだいに、親の感情や行動を真似していくようになるというものである。
だいたいそのようなシーンが出てくるのは、自分の思うようにいかない場面である。嘘をつくとうまくいくことを見て覚えると、その場しのぎの嘘でその場を乗り切ろうとし、怒鳴ってうまくいく場合をみていると、気にくわないことがあったとき、怒鳴ることで事態を好転させようとする。
虐待を受けた子が、後にいじめっ子に転じるケースが多いのはよく知られている。
こういう前提に立てば、プレー中に、上記のような行動をとるのは恥ずかしいこと、品格に関わることだとわかる。
反射的にすぐにオフサイド、ハンドと叫ぶ人は、なにか困難に接した場合、自分で解決する能力も、勇気もなく、他の人のせいにしたり、他人に頼る人だろう。暴言で審判を威圧しようとする選手は、暴力という安直な方法で、人に理解してもらうという努力を省く。
そして、いうまでもなくサッカーの場合、そうした選手を生む責任は親ではなく、指導者にある。育成年代の指導者は選手の鏡なのだ。
スタジアムでの反応は自由だ。無理に良い子を演じる必要もないが、八つ当たり的な、憂さ晴らしのような反応は決してプラスの効果を生まない。
いいプレーに対する称賛は大いに結構。
問題は、文句を言いたくなる時、それは自分の思うようにことが進まない時でもあるが、自分の人間性を映し出す鏡だと思って、ぐっとこらえることも時には必要だろう。
大宮戦のような、スタジアム全体が選手を後押しする素晴らしい雰囲気が作れるのなら、勝利はもちろん、たくさんのサポーターがスタジアムに駆けつけてくるだろう。一人一人の心がけでチームをサポートしたい。
【浅妻 信】
新潟市出身。Jリーグ昇格時からアルビレックス新潟を追い続けるとともに、本業のかたわら、サッカー専門誌などに執筆している。さらにASジャミネイロの監督としても活躍中