父の作った酒に喜ぶ人たちを見て新潟へUターン
笹祝酒造の6代目蔵元・笹口亮介さん。
日々新しい取り組みを行い、これからの新潟の日本酒造りには欠かせない方なんです。
そんな笹口さんに、酒蔵を継ぐまで、現在、これからについてお聞きしました!
他業種で培った知識を武器に蔵人デビュー
そもそも地酒の定義とは何なのか ──
「地元のものを使っていて、地元で購入でき、地元の人が飲んでくれる酒だと僕は思っています」と笹口さん。
120年ほどの歴史がある笹祝酒造は、地元の人やものを大切にし、地元消費が約9割を占めます。
蔵で働く人たちも全員ご近所さん。
使っているお米も今年からすべて新潟県産にしました。
地元愛にあふれた酒造りをする笹口さんですが、昔は蔵を継ぐ気はなかったのだそう。
「酒蔵って田舎の町工場みたいであまりいい印象がなかったんです。日本酒にも興味がないまま、東京の大学に進学しました」。
そんな笹口さんが学生時代にアルバイトしていた先は日本酒の立ち飲み屋。
「その店ではたまたま実家のお酒も提供していて、東京のかっこいいサラリーマンたちに人気だったんです。そんな光景を見ているうちに実家のお酒が東京で働く人たちに活力を与えているのだと気づき、家業を継ごうと思ったんです」。
そこで笹口さんはすぐさま実家に戻ることはせず、関東の酒販売会社に入社しました。
「社長と面接した時に、まず君はワインを勉強しなさいと言われ、日本酒とはまったく関係のないワインショップに配属されたんです。お客さんにワインを提供して、その反応を見られたことは結果的にとても勉強になりましたけどね。その後配属が変わり、飲食店向けの営業マンになりました。いきなり飛び込み営業をさせられて…(笑)。でも、飲食店の人が求めるお酒とはなんなのだろうと考えるいいきっかけになりました」。
どこまでもポジティブな笹口さん。尊敬..!
約6年、働きながら蔵に戻ったらやりたいことを少しづつ自分の中にストックし、 29 歳で笹祝酒造の酒造りに 加わりました。
一見畑違いのことを行なってきたように見えますが、この経験が後々笹祝酒造を大きく変えることになるんです。
地元の人たちと酒を醸し、蔵をよりオープンに!
笹口さんが蔵に戻って今年で5年目、社長になって2年目を迎えました。
「そもそも酒蔵の勉強をしてこなかったので、1年目はとにかく仕事を覚えることで精一杯でした。2年目からは蔵に戻ってやりたかったことを実現させていきました。まずは蔵開きと試飲カウンターの設置です。ワインショップで働いていた時に、直接お客さんから感想を聞いたり、表情を見たりするのはすごくいいなと思って」。
酒蔵とは元々人の出入りがあまりないものですが「OPEN酒蔵 蔵 Be Lucky!」というキャッチフレーズで一般の人に開放。
同時に蔵にあった木桶や蓋、はしごを再利用し、入口に試飲カウンターを
設置しました。
さらに、この年から試験酒造りのプロジェクトを開始。
その名も〝チャレンジブリュー〞。
「今メンバーは飲食店や酒販店、新潟大学の日本酒サークルのOBなど約 50人。
一般の人たちを招き入れて、イチからお酒を造り上げます」。1年に1回、毎回異なるコンセプトでお酒を醸し、ラベル作りやプロモーション方法までメンバーで話し合って決めていきます。
第1弾は昔ながらの生酛仕込みの日本酒、第2段は生酛仕込みの活性濁りとお燗用の濁り酒、第3弾は甘酸っぱく、女性や日本酒初心者向けの日本酒『サササンデー』。
そして第4弾となる今年は4種のお米で造る純米酒を計画中です。
「第1弾、第2弾は割と上級者向けのお酒でした。でも第3弾からは方向性を変え、初心者向けのお酒にしました。その方が一般の人と一緒に造る意味があるんじゃないかなって」。
〝チャレンジブリュー〞で生まれたお酒をブラッシュアップし、レギュラー商品にする〝アンサーブリュー〞なるものもあり、こちらでは『サササンデー』を絶賛ブラッシュアップ中。
新しいことを絶えず行なう笹口さんだが「前提としておいしいものを造りたいし、ローカルであることを極めていきたい。新潟市の酒といえば笹祝だと選んでもらえるようになりたいです」と話してくれました。
Information
笹祝酒造
- 住所
- 新潟市西蒲区松野尾3249
- 電話番号
- 0256-72-3982